
ウチとこの本篇サイト“ALL ALONG THE WATERTOWER”に “坂月高架水槽のインデックスページ” というのがあって、そのページにアップしている写真を画像編集ソフトで少しいじってみたのが上の写真である。縦横比を変えて大幅にダウンサイジングして、ひと昔前のケータイでとった写真のようなチープさをねらってみたのであるが、いかがなものだろうか。
本題に入る。“大谷口給水塔”という名称の給水塔は、ひょっとしたらどこかに実在しているのではないだろうか、と何となく不安に思えてきた今日このごろであるが、それでも“大谷口給水塔”などといった名称の土木構造物(まさか“建築物”ではあるまい)は、少なくとも日本国の東京都内には存在しているはずがない、という自分の認識は堅持せねばイカンと考えている。その結果世間とズレまくったとしても、それはそれでしかたのないことなのだ。さて今回は、“オドるブログ!” という名称のブログの “坂月高架水槽” と題された2011年1月19日付の記事に寄せられた、同日付のコメント(当該記事の筆者が書いているらしい)をご紹介することにしたい。そこではこのように述べられている。
まずは都内3大給水塔
野方給水塔→大谷口給水塔(板橋区)
→駒沢給水塔から巡ろう!
まだ“大阪都”や“中京都”や“京都都”などといった名称の自治体は存在しないはずなので、“都内”といえば東京都内ということになろう。それに“板橋区”は東京以外にはないはずだ。そうすると“大谷口給水塔”は東京都板橋区内にある“給水塔”なのだ、ということになる。板橋区在住の自称給水塔マニアのワタクシがまだ見たことのない給水塔が近所にあるのだとしたら、ぜひとも行ってみたいものであるが、残念ながらどうやって行ったらいいのかさっぱりわからないのである。ちなみに“都内3大給水塔”などという概念があるのか、と思ってちょっと調べてみたら、“癸卯雑識” というブログの “巡礼 0001” と題された2004年9月22日付の記事に、そのようなことが書いてあった。自分が書いた文章なので、著作権上の問題もないだろうし、せっかくの機会だからここにその全文を引用することにしたい。
9月12日付の “駒沢 0001” のところで、“世間では、中島鋭治筋のつながりかなんかで、駒沢、野方、大谷口が三点セットのように扱われているようだ”と述べた。三つそろえば権威になってハクがつくのだ。日本三景、寛永三馬術、三大ギタリスト、三大稲荷、世界三大料理などのように、その三つの中に選ばれることに価値がある。また、その三つが点在しているということになると、たとえば帝都三大給水塔などと銘打てば、たちまちお手軽な巡礼コースとなる。あちこちの七福神、七不思議、各地のお札所巡りの、三十三ヶ所、三十四ヶ所、八十八ヶ所、さらには日本百名山に至るまで、それぞれ善男善女でにぎわっているのだから、帝都三大給水塔、もっと早く気がついて商売にしておけばよかった。ポストカードぐらいは売れただろうと思う。
他人が決めたコースにしたがって、ほかのモノには目もくれずひたすら一つ一つたどって歩く。すべてを踏破したときの喜びは何モノにもかえがたい。ニホン人であることのシアワセをしみじみとかみしめるには巡礼にしくはない。
つけくわえておくと、この記事がアップされた2004年の9月といえば、東京都板橋区大谷口に配水塔(“給水塔”や“水道タンク”というのは俗称である)がまだ残っていたわけだが、東京都水道局はすぐにでも除却工事に入るぞといった姿勢を見せていたように記憶している。
ところで、今回とりあげた “オドるブログ!” という名称のブログの “坂月高架水槽” と題された2011年1月19日付の記事なのであるが、記事の内容からすれば、当該記事の筆者は2011年1月19日の段階で千葉県千葉市若葉区千城台の現地を訪れているわけではないようだ。しかし記事のトップには“坂月高架水槽”の写真が掲げられている。これは現地に行ってみたいという当該記事の筆者の思いが凝結して、はからずも念写してしまった写真なのであろうか。事情はよくわからないのだが、なんだか不思議な写真である。