2011年05月11日

巷説 0009

jud32.jpg

まいどおなじみの “大谷口給水所ポンプ棟” である。この写真は南側の空中駐車場から撮影している。

“写々丸日記” というタイトルのブログの “5/3 ○3” と題された記事(“○3”は、○の中にアラビア数字の“3”が入っている記号)に、大谷口給水所のポンプ棟の写真がアップされている。そしてブログの執筆者はこのように述べている。

オリエンタル?な建物が…
東京都水道局の大谷口給水所、通称『水道タンク』です。1〜2年前に修復改修したばかりなので素敵な佇まいです。(以下略)


“修復改修”ということは、大谷口配水塔を解体することなく、外壁や内装等のリニューアル工事をほどこした、というふうに理解すべきであろう。物件としての同一性が保持されているのだから、従来どおり“通称『水道タンク』です”といって問題はないわけだ。リニューアル工事も終了し、“和”の字ハゲのあったドーム屋根は、今ではピカピカに輝く素材にとりかえられて、まばゆいばかりだ。まさしく“素敵な佇まい”である。

ブログ界においては、“給水塔建替え説”“水道タンク生まれ変わり説” など諸説紛紛だが、この“水道タンク修復改修説”はどれほどの広がりを持つのだろうか。今後の展開に期待したいところである。
posted by K.T. at 20:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑識

2011年05月07日

巷説 0008

js35.jpg

どこから見てもブサイクでチープな “大谷口給水所ポンプ棟” である。

解体撤去されてしまった土木構造物の“霊魂”とか“魂魄”といったものが、物件が解体されてしまった後もどこかに存在し続けているとしたら、それだけでもたいへんコワイ話であるが、その“霊魂”だか“魂魄”だかが、新しく造られたタテモノにとりついて再生する、ということになったら、これはもう恐怖のきわみである。今回は、東京都板橋区大谷口1丁目で不動産業を営まれているかたが執筆されたブログの記事を紹介することにしたい。“走れる?千川の不動産屋さん 藤巻不動産” というタイトルのブログに見られる、“大谷口の水道タンク” と題された2011年4月4日の記事である。引用する。

地元板橋区大谷口の水道タンクが生まれ変わりました。

正式名称は、大谷口給水所ですが地元では「水道タンク」と呼ばれています。

「水道タンク」から板橋区・豊島区など周辺地域に給水されます。

 (中略)

お部屋探しにこられたお客様の中には、どこかの宗教施設ですか?と

怪訝な表情で質問される方もいらっしゃいましたが、「給水所!」ですから

ご安心を!


“「給水所!」ですからご安心を!”といわれても、解体撤去された配水塔の“生まれ変わり”だといわれたら、おそろしくて夜更けなどはその近くを歩くこともできないだろう。もっとも、自分が大谷口配水塔(解体撤去されてしまった大谷口水道タンク)だったとしたら、あんな悪趣味な“おまる”(大谷口給水所ポンプ棟)なんかに憑依しようなどと考えるなんてことはありえないだろうし、そんなことをしてしまったらプライドもアイデンティティーも崩壊するにちがいないと思うのだが、地元大谷口1丁目では大谷口配水塔の尊厳なんてモノは誰も認めていないようで、あたりまえのように“おまる”を二代目水道タンクとして認知してはばからない。そんなわけで、完成して間もないのに、早くも“地元では「水道タンク」と呼ばれています”という現象が生じているわけだ。地元のヒトがそう呼んでいるのだから、ヨソ者が異を唱えてもこれはもはやどうにもならない。

つけくわえておくと、この種の“生まれ変わり説”は、東京都水道局のサイトにも見られる。以前にも紹介した、“大谷口給水所が完成します!” と題された2011年3月2日付のプレス発表には、このような記述があった。

昭和6年に建造された(旧)大谷口配水塔が、この3月に大谷口給水所として新たに生まれ変わります。

東京都の公務員が非科学的だといって批判するのは当たらないだろう。なにしろボスが津波天罰説のヒトなので、都庁では輪廻転生も因果応報もなんでもアリだ。だがそれなら、大谷口1丁目に完成したあの醜悪な“おまる”も、大谷口配水塔の保存運動に尽力しなかった地元住民に対する“天罰”として下されたモノだといってもいいのではないか。といっても、“待ちに待った新しい水道タンクが完成しました”とか、“これが大谷口の誇る新しいランドマーク、二代目の水道タンクなんだ”、などといって地元の住民たちがあの“おまる”を大歓迎しているのだとしたならば、あれは“天罰”としてまったく機能しなかったということになる。やはり天罰は津波に限るということか。
posted by K.T. at 20:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑識

2011年04月26日

巷説 0007

js31.jpg

2011年4月4日に撮影した、“大谷口給水所ポンプ棟” の写真である。

当ブログの “巷説 0002” の記事において、地元のヒトの発言は必ずしも正確であるとは限らない、といった話をしているが、今回は、地元のヒトが“大谷口給水所”について記している文章を紹介したい。執筆者は東京都板橋区大谷口1丁目在住のO野さんというかたで、問題の文章は、“板橋白門会” というサイトに “完成まぢか水道タンク” というタイトルでアップされている。タイトルからもわかるように、執筆者は大谷口に“水道タンク”が整備されつつあるという認識をお持ちだったようだ。なお、掲載日(アップされた日のことか?)は、平成23年(2011年)1月10日だそうである。執筆者はこのように述べる。

板橋区大谷口地区のシンボルであるタンクの完成が近づいている。平成16年から始まった工事は、平成23年3月(完成予定)となっています。震災時等に板橋区・豊島区の周辺12万人分の給水を賄うための配水池およびポンプ棟からなる立派な施設である。

 (中略)

タンクをはさんで、南側屋上は駐車場、北側屋上は区立大谷口公園(仮称)となり、公園は芝生広場でワンパク広場と健康遊具を備えた健康広場になります。


“立派な施設”かどうかはともかくとして、“配水池およびポンプ棟からなる”というふうに事実を正確に把握しているのであれば、あの地上のおまる状の建築物を“ポンプ棟”と呼ぶのが理の当然だと思うのだが、執筆者O野氏は、“タンクをはさんで、南側屋上は駐車場、北側屋上は区立大谷口公園(仮称)となり”と記している。やはりここでも

 ポンプ棟=タンク

なのである。

自分の考えている“理の当然”が、東京都板橋区大谷口1丁目では“珍説”になってしまう。頭がおかしいのはどうやらこっちのほうらしい。
posted by K.T. at 14:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑識

2011年03月30日

巷説 0006

k25.jpg

7年前の2004年3月30日の桜である。東京都板橋区大谷口1丁目にあった水道タンクに隣接する公園から撮影した。

Google の運営する “Panoramio” という写真共有サイトがあって、そこに大谷口給水所(この名称は“仮称”ではなくなった。“2011年3月2日付の東京都水道局のプレス発表” 参照)のポンプ棟の写真がアップされている。題して “水道タンク” とぞ。年寄りはあきれかえるばかりだが、事ここに至っては、もはやどうなるものでもない。“巷説 0003” の記事で述べたように、大谷口給水所のポンプ棟の俗称として、“水道タンク”という語はこれからも末永く使用されることであろう。それを不快に思う老人はいずれあの世に行ってしまうわけだし、ひょっとしたらあの世の大谷口では荒玉水道のホンモノの水道タンクが現役で稼働しているかもしれないのだから、これはこれでまあいいか、ということにしておきたいと思ったりもするのだが、やはり不快であることに変わりはない。
posted by K.T. at 19:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑識

2011年02月11日

巷説 0005

ck12x.jpg

ウチとこの本篇サイト“ALL ALONG THE WATERTOWER”に “坂月高架水槽のインデックスページ” というのがあって、そのページにアップしている写真を画像編集ソフトで少しいじってみたのが上の写真である。縦横比を変えて大幅にダウンサイジングして、ひと昔前のケータイでとった写真のようなチープさをねらってみたのであるが、いかがなものだろうか。

本題に入る。“大谷口給水塔”という名称の給水塔は、ひょっとしたらどこかに実在しているのではないだろうか、と何となく不安に思えてきた今日このごろであるが、それでも“大谷口給水塔”などといった名称の土木構造物(まさか“建築物”ではあるまい)は、少なくとも日本国の東京都内には存在しているはずがない、という自分の認識は堅持せねばイカンと考えている。その結果世間とズレまくったとしても、それはそれでしかたのないことなのだ。さて今回は、“オドるブログ!” という名称のブログの “坂月高架水槽” と題された2011年1月19日付の記事に寄せられた、同日付のコメント(当該記事の筆者が書いているらしい)をご紹介することにしたい。そこではこのように述べられている。

まずは都内3大給水塔
野方給水塔→大谷口給水塔(板橋区)
→駒沢給水塔から巡ろう!


まだ“大阪都”や“中京都”や“京都都”などといった名称の自治体は存在しないはずなので、“都内”といえば東京都内ということになろう。それに“板橋区”は東京以外にはないはずだ。そうすると“大谷口給水塔”は東京都板橋区内にある“給水塔”なのだ、ということになる。板橋区在住の自称給水塔マニアのワタクシがまだ見たことのない給水塔が近所にあるのだとしたら、ぜひとも行ってみたいものであるが、残念ながらどうやって行ったらいいのかさっぱりわからないのである。ちなみに“都内3大給水塔”などという概念があるのか、と思ってちょっと調べてみたら、“癸卯雑識” というブログの “巡礼 0001” と題された2004年9月22日付の記事に、そのようなことが書いてあった。自分が書いた文章なので、著作権上の問題もないだろうし、せっかくの機会だからここにその全文を引用することにしたい。

9月12日付の “駒沢 0001” のところで、“世間では、中島鋭治筋のつながりかなんかで、駒沢、野方、大谷口が三点セットのように扱われているようだ”と述べた。三つそろえば権威になってハクがつくのだ。日本三景、寛永三馬術、三大ギタリスト、三大稲荷、世界三大料理などのように、その三つの中に選ばれることに価値がある。また、その三つが点在しているということになると、たとえば帝都三大給水塔などと銘打てば、たちまちお手軽な巡礼コースとなる。あちこちの七福神、七不思議、各地のお札所巡りの、三十三ヶ所、三十四ヶ所、八十八ヶ所、さらには日本百名山に至るまで、それぞれ善男善女でにぎわっているのだから、帝都三大給水塔、もっと早く気がついて商売にしておけばよかった。ポストカードぐらいは売れただろうと思う。
他人が決めたコースにしたがって、ほかのモノには目もくれずひたすら一つ一つたどって歩く。すべてを踏破したときの喜びは何モノにもかえがたい。ニホン人であることのシアワセをしみじみとかみしめるには巡礼にしくはない。


つけくわえておくと、この記事がアップされた2004年の9月といえば、東京都板橋区大谷口に配水塔(“給水塔”や“水道タンク”というのは俗称である)がまだ残っていたわけだが、東京都水道局はすぐにでも除却工事に入るぞといった姿勢を見せていたように記憶している。
ところで、今回とりあげた “オドるブログ!” という名称のブログの “坂月高架水槽” と題された2011年1月19日付の記事なのであるが、記事の内容からすれば、当該記事の筆者は2011年1月19日の段階で千葉県千葉市若葉区千城台の現地を訪れているわけではないようだ。しかし記事のトップには“坂月高架水槽”の写真が掲げられている。これは現地に行ってみたいという当該記事の筆者の思いが凝結して、はからずも念写してしまった写真なのであろうか。事情はよくわからないのだが、なんだか不思議な写真である。
posted by K.T. at 17:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑識

2011年02月10日

巷説 0004

jjd01.jpg

“Twitter”については何もわかっていないので、これからマジメにベンキョーしなければイカンと思っている。いきなりこんな“ツイート”(こちらのページ にある)に遭遇するとびっくらこいて思考停止に陥ってしまうからだ。

  大谷口給水塔前まで来ました

その下の“10:07 AM Jun 5th, 2010”というのが発信日時なのであろう。この“ツイート”は sampodow というかたが発信者のようで、“sampodow”という文字列をためしにクリックしてみたら、“sampodow”というかたのメインのページに飛んだようだ。そこにはこんなメッセージがあった。

Twitterは豊富なリアルタイム情報の宝庫です。Twitterには信じられないくらい様々な話題の情報が飛び交っています。今すぐ参加して@sampodowさんをフォローしよう!

たしかに“信じられない”情報である。2010年の6月5日に“大谷口給水塔前”と呼ばれる場所が存在したとは!
ただ“大谷口給水塔”が現実の空間に存在するものではなくて、ゲームの世界かなんかの仮想空間に存在する非実在給水塔だということであるならば、2010年にそういう“ツイート”が発信されても不思議はない。そのあたりの事情については、今の段階ではまったくわからないとしかいいようがないので、とりあえずこれくらいにしておく。
posted by K.T. at 13:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑識

2011年02月01日

巷説 0003

jjd10.jpg

“水道タンク”という語を辞書的に定義するならば、

配水塔、高架水槽等の、地上の高い位置に水槽を設置し、自然流下によって円滑に配水することを目的として整備された、上水道施設の俗称。一定の高さを持つ土木構造物であるため、ランドマークとしての機能を併せ持っている場合が多い。

といったところになろうかと思われる。文化庁の“文化遺産オンライン” で調べてみると、“水道タンク” という名称で登録有形文化財に指定されている新潟県長岡市の中島浄水場の配水塔が紹介されているし、また、新潟市新潟市にある登録有形文化財 “亀田町上水道高架水槽” の項にも、“町の近代化を支えたランドマークで,水道タンクの名で住民に広く親しまれている。” という記述が見られる。
それ以外にも、群馬県前橋市にある敷島浄水場の配水塔の通称が“水道タンク”だったり、東京都中野区にある野方配水塔の前の関東バスの停留所名が“水道タンク前”だったりするわけだが、どの土地での用例でも、“水道タンク”は“配水塔”や“高架水槽”の俗称であって、それ以外のものを指すことはかつてなかったはずである。
ところで、東京都板橋区には“水道タンク前”とか“水道タンク裏”といった名称の国際興業バスの停留所がある。その停留所の近くには、2005年まで “大谷口配水塔” という名称の上水道施設があったので、それまではそういう停留所名でまったく問題はなかったわけだが、その後、配水塔の跡地の地下に配水池が整備され、その上に配水塔の意匠を模した“ポンプ棟”という名称の珍妙な建築物(上の写真の物件)が出現するに及んで、この“ポンプ棟”を“水道タンク”と呼んでしまっていいものだろうか、という問題が生じてきた。なぜかというと、“ポンプ棟”の地上部分には水槽がもともと整備されていないからである。旧来の“水道タンク”という語の用例からすれば、これは“水道タンク”の語義から明らかに逸脱したヘンなモノである。近ごろの流行語でいえば、大谷口の水道タンクがガラパゴス的進化を遂げたモノ、ともいえなくはないような気もするが、しかしこんなモノを亀田町上水道高架水槽や野方配水塔と同列にあつかうことに抵抗をおぼえるヒトも広い世の中にはいくらかは存在するのではないだろうか。
しかし、数あるブログの記事の中には、そういう歴史的経緯にはまったく触れず、大谷口の“ポンプ棟”を“水道タンク”と称し、それを絶賛してみせる、などといったものもある。一例を挙げると、“Knブログ” という名称のブログの “大谷口の水道タンク” という2010年9月23日付の記事では、“ポンプ棟”の写真を示した上で、こう述べている。

前から噂には聞いていたのだが、先日大谷口へ行った際、はじめて実物を見た!
水道タンク!!

  (中略)

予想を上回る壮大さ!!
バス停の名前にもなってるくらいの有名な水道タンク、名前にふさわしい風格があった。


この記事が冗談ではないのだとしたら、大谷口配水塔を知るヒトには“巨大なおまる”ぐらいにしか見えないようなブサイクな建築物(“癸卯雑識” の “大谷口 0069” 参照)でも、“風格”を感じてしまうヒトがいる、ということになる。なにしろ前から噂に聞いていた“水道タンク”なのである。それに目の前のバス停は“水道タンク前”ではないか。内部に水槽が整備されていようがいまいが知ったことではない。これを“水道タンク”と呼んで何が悪い。そのような論調が、今後勢いを増して多数を占めていくような気がしてならない。そうなったら、自分がここでブツブツ文句をいっていたとしても、多勢に無勢、負け犬が雨に打たれてぐずっているようなもので、誰も相手にはしてくれないだろう。
posted by K.T. at 20:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑識

2011年01月27日

巷説 0002

jjd17.jpg

上の写真も、東京都水道局の大谷口給水所(仮称)のポンプ棟の頂部である。どうにも安っぽくてイヤな印象を与えるかもしれないが、これが現実なのである。

本題に入る。地元のヒトの発言には一定の説得力があったりするものであるから、それをそのまま鵜呑みにして怪しげな記事を書いてしまったヒトのことを悪しざまにいうのはいかがなものかとも思う。書いた本人にはおそらく悪気はないのだ。しかし、それが一過性のブロガーさんが思いつきで書いた記事ではなく、“給水塔アーカイブ” というタイトルはすごく立派なブログを開設しているヒトの書いた記事だということになると、ただのウェブ上のゴミとして読み飛ばすのも礼を失することになるだろう。当該記事は、2009年8月16日付の “File10 大谷口給水塔(の跡地)” と題されたもので、その記事の筆者が大谷口給水塔を見に行ってみると、

大谷口給水塔は、老朽化による建替え工事の真っ最中なのでした。

ということになっていたのである。たしかに大谷口給水塔(“大谷口水道タンク”もしくは“大谷口配水塔”といいたいところだが記事の筆者の表記にならう)は解体撤去されてしまったわけだが、あの物件は老朽化によって解体撤去されてしまったわけではないし(東京都水道局が現地に新設する給水所の工事の邪魔になるから解体撤去したというふうに理解するのが妥当なところだろう)、その跡地に“給水塔”が再建されるわけでもない。どうやら当該記事の筆者は、これらの情報を、現地付近の和菓子店から取得しているようだ。

・取り壊しが始まったのは先月(2005年06月)
・5年後には新しい給水塔が建つ予定


といった話を聞いて、すっかり真に受けてしまったということらしい。“先月”が2005年6月で、記事がアップされたのが2009年8月というのもおかしな話だが、それはまあいいとして、2005年の5年後といえば、2010年である。2010年に大谷口に“新しい給水塔”が建ったかどうか、一度現地を再訪されて確認されてみてはいかがかと思ったりもする。ただ、“給水塔アーカイブ”というブログは2010年7月1日を最後に更新が止まっているので、今後の展開に期待する、というのも気の毒だし、がんばってくださいね、などとしらじらしく激励する気にもなれないのである。
posted by K.T. at 20:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑識

2010年12月31日

巷説 0001

ivd30.jpg

醜悪な画像をお見せするのもいかがなものかと思うのだが、ご参考までに。東京都水道局の大谷口給水所(仮称)のポンプ棟の頂部である。

さて、前項 “電網 0005” において、

自分の周囲を見回してみても、新たに個人でウェブサイト(いわゆるホームページ)を始めるヒトなんて誰もいないわけで、たとえば自分の関係している給水塔方面でいったら、2003年の暮れに自分が開設した“ALL ALONG THE WATERTOWER”が、サイトとしては最も新参者なのである。

と述べた。ただしブログ等で給水塔があつかわれるケースはそこそこあるようで、それらの記事に接して、自分の勉強不足を思い知らされたりすることもしばしばある。とはいえ、中には事実関係においていかがと思われる記事もあり、考えさせられることも多い。一例を挙げると、“バッチクはバクチカメラの略ですよ。” というタイトルのブログに見られる “【塔のある風景】緊急企画!? 板橋 大谷口給水塔の今” と題された、2010年2月24日付の記事であるが、この記事は、東京都板橋区大谷口に新しい給水塔が整備されつつあり、その給水塔は、以前の味わい深い石造りの給水塔(K.T.註 大谷口水道タンクのことを指すらしい)に比べて云々、といった内容のもので、そこに示された認識にはたいへん驚かされるし、当該記事に付された写真を見れば、まさしく東京都水道局の大谷口給水所(仮称)のポンプ棟であるわけで、こんなものは給水塔ではない、ということぐらい周知の事実だと思っていたら、それはとんでもないカンチガイなのであった、という厳然たる事実に打ちのめされるのであった。ついでにいっておくと、大谷口水道タンクが“石造り”だったというのも聞いてびっくりの珍説なのであるが、これだって、いつの間にか一人歩きして、“通説”になってしまうかもしれない。しかし、それについては今後の推移を見守りたいといっておくしかないのかなあと思っている。このところずっと弱気なのである。
posted by K.T. at 17:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑識

2010年12月16日

電網 0005

インフォシークは、無料ホームページスペース提供サービスを終了するにあたって、次のような理屈を述べている。(“インフォシーク ユーザサポートからのお知らせ”2010年8月25日付 から引用)

■ なぜホームページサービスを終了するのか

「インフォシーク iswebライト」のサービス開始当初におきましては、ホームページスペース提供サービスがインターネットにおける情報発信ツールとして大きな役割を担ってまいりました。

しかしながら、インターネットの発展に伴い情報発信ツールも多様な進化を遂げており、無料のホームページスペース提供サービスとして運営してきた「インフォシーク iswebライト」は当初の役割を終えたものと判断いたしました。長年に渡ります皆さまのご愛顧に深く感謝しております。

皆さまにはホームページ移行等で、お手数をおかけいたしますが、前述状況を踏まえたサービス終了でありますことを、何とぞご理解いただき、ご了承くださいますようお願い申し上げます。

ご利用いただき誠にありがとうございました。


たしかに自分の周囲を見回してみても、新たに個人でウェブサイト(いわゆるホームページ)を始めるヒトなんて誰もいないわけで、たとえば自分の関係している給水塔方面でいったら、2003年の暮れに自分が開設した“ALL ALONG THE WATERTOWER”が、サイトとしては最も新参者なのである。ということは、7年間もサイトを運営していながら、自分はいまだにペーペーで、新規参入組に対してえらそうな口をきいたりすることもできないわけだ。それはまあいいとして、今では給水塔について新たに情報を発信しようとする場合、ウェブサイトなどという面倒な手段を用いるより、ブログなりSNSなりツイッターなりを利用したほうが手っ取り早いし、コミュニケーションのツールとしてはこちらのほうがはるかに有利だということになる。そしてこういう現象が給水塔以外の分野でも広く見られるとするならば、やはり無料ホームページスペース提供サービスは、広告媒体としてすでに過去のモノになってしまったということになると考えざるをえない。そんなわけで、インフォシークのサービス停止もやむをえないことである、とここでは述べておくことにする。
posted by K.T. at 20:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑識